今日は、個人セッションでとても印象に残った出来事がありました。
もちろん、守秘義務がありますので、内容は個人が特定されないよう変更し、本質だけをお伝えします。
ある方が、こんな悩みを話してくださいました。
「習い事の先生に、いつもダメ出しばかりされるんです。」
指摘を受けるたびに、
「自分はダメなんだ。」
「情けない。」
「またできなかった。」
そんな気持ちになり、習い事へ行くことさえ憂うつになってしまうそうです。
その方にとっては、本当に苦しい時間だったと思います。
そこで今回は、アドラー心理学のエピソード分析を行いました。
出来事そのものではなく、その出来事を自分がどのように受け止め、どんな意味づけをしているのかを、一緒に丁寧に見つめていく時間です。
今回の出来事は、陰性感情を抱いたエピソードでした。
当然、その時点では先生に対して良い感情は持てません。
「また怒られた。」
「私のことを否定している。」
「できない人間だと思われている。」
そんな見え方になっていました。
そこで、一緒に先生の「良い意図」を探してみました。
もちろん、本当のところは先生に聞いてみなければ分かりません。
でも、アドラー心理学では、「そう考えると前に進みやすい」という見方を大切にします。
いろいろな可能性を一緒に考えていく中で、
「先生は、私の上達を願って言ってくれているのではないか。」
そんな見方にたどり着きました。
その瞬間、先生という存在が少し違って見え始めました。
これまで、
「ダメ出しばかりする先生」
だった人が、
「私の成長を願ってくれている先生」
というフィルターでも見られるようになったのです。
先生の言葉は、一つも変わっていません。
変わったのは、その言葉を受け取るフィルターでした。
もちろん、これで毎回傷つかなくなるわけではありません。
人ですから、落ち込むこともあるでしょう。
でも、
「この人は私の成長を願っているのかもしれない。」
そんな見方を一つ持てるだけで、同じ言葉の重さは少し変わります。
私が学んだアドラー心理学では、「良くないことの良かった探し」を大切にしています。
人生には、自分ではコントロールできない出来事がたくさんあります。
でも、その出来事をどう意味づけるかは、自分で選ぶことができます。
だからこそ、
「良くない出来事の中にも、何か一つでも良かったことはなかっただろうか。」
そんな視点で出来事を見つめ直していきます。
私は、この問いを自分自身にもよく投げかけます。
決して楽観的になろうとしているわけではありません。
つらい出来事を「なかったこと」にするためでもありません。
ただ、どんな出来事にも、何か一つでも意味や学びがあるとしたら、それを見つけたいと思っているのです。
実は、家内の病気が発覚したときも、この問いを自分に投げかけました。
もちろん、病気そのものを「良かった」と思うことはできません。
でも、その出来事の中にも、人とのつながりの温かさに改めて気づけたこと、家族と過ごす時間の尊さを実感できたこと、そして、
「思い通りになるかどうかはコントロールできない。でも、自分の人生のハンドルは、自分で握ることができる。」
そう改めて覚悟を決めることができました。
だから私は、この問いに何度も救われてきました。
もし今、あなたにも受け入れることが難しい出来事があるなら、すぐに答えが見つからなくても構いません。
そっと、自分自身に問いかけてみてください。
「この出来事の中に、一つだけ良かったことがあるとしたら、何だろう。」
その問いが、新しい景色への入り口になるかもしれません。
そして、その小さな意味づけの変化が、
人生のハンドルを、少しずつ自分の手に取り戻す、はじめの一歩になるかもしれません。
