先日の選挙を見ていて、気になった言葉がありました。
「我々が正義だ!」
とても力強い言葉です。
でも、その言葉を聞いたとき、私は少し違和感を覚えました。
自分たちが「正義」だとするならば、自分たちと対立する相手は何になるのだろう。
正義と悪。
もし自分たちを「正義」の側に置くのであれば、相手を「悪」の側に置いているようなものではないだろうか。
「我々が正義だ」という言葉は、同時に、
「あちらは悪だ」
と言っているようにも聞こえたのです。
そして、ふと思いました。
これは選挙に出ている人たちだけの話ではない。
私自身も、同じようなことをやっているのではないか、と。
「自分が正しい」と思っていた夫婦喧嘩
私たち夫婦は、普段は比較的仲がいいと思います。
でも、意見が食い違ったとき、口喧嘩になることがあります。
そんなときの自分を振り返ってみると、あるパターンがありました。
私は、自分の考えを一生懸命説明します。
「こうだから、こうなんだよ」
「だから、こうした方がいいでしょう」
私としては、ちゃんと理由を説明しているつもりです。
でも、妻が納得しない。
すると、さらに説明します。
それでも妻は、自分の考えを主張する。
そのうち、お互いに声が大きくなって、口喧嘩になる。
以前の私は、
「どうして分かってくれないんだろう」
と思っていました。
でも、自分自身を振り返っていく中で気づいたことがあります。
私は妻に、自分の考えをただ「伝えたい」のではありませんでした。
「自分の考えが正しいことを分かってもらいたい」
と思っていたのです。
自分が「正しい」なら、相手は「間違っている」
「自分が正しい」と思う。
一見、何の問題もないように思えます。
でも、そこに相手がいると、少し事情が変わります。
自分と相手の意見が違っているとき、
「自分が正しい」
と決めた瞬間、
「相手は間違っている」
という構図が生まれます。
さらに、自分の正しさを「正義」とまで考えるようになると、
「正義である自分」と、
「悪である相手」
という構図にまでなってしまうことがあります。
もちろん、私は妻のことを「悪い人だ」と思って夫婦喧嘩をしていたわけではありません。
でも、構造としては似ていたのかもしれません。
自分の方が正しい。
だから、妻には考えを改めてもらわなければならない。
妻が分かってくれないから、もっと説明する。
それでも分からないなら、さらに強く言う。
そうやって私は、妻を「間違っている側」に置き、自分の正しさを証明しようとしていました。
選挙で耳にした、
「我々が正義だ!」
という言葉に感じた違和感。
考えてみれば、程度や場面は違っても、私自身の人間関係の中にも同じ構図があったのです。
「正しい・間違っている」から離れてみたら
ある夫婦喧嘩のあとも、私の中には怒りが残っていました。
「やっぱり自分は間違っていない」
そんな気持ちもありました。
でも、少し違うところから妻の言葉を考えてみました。
妻は、なぜあんなことを言ったのだろう。
すると、それまで見えていなかったものが見えてきました。
妻は妻なりに、
私のことを思って言ってくれていた。
もちろん、妻の意見にすべて納得したわけではありません。
自分が間違っていたと認めたわけでもありません。
ただ、
「自分が正しい」
「妻は間違っている」
という見方から少し離れてみると、妻の言葉の奥にあった気持ちが見えてきたのです。
私は、まだ怒りが残っていました。
それでも妻に、
「俺のことを思って言ってくれてるんだよね。ありがとう」
と伝えました。
妻に賛成したから言った「ありがとう」ではありません。
私のことを思って言ってくれたことに対する「ありがとう」でした。
正義と悪に分けると、見えなくなるもの
この経験から、私は考えるようになりました。
人を「正しい側」と「間違っている側」に分けてしまうと、見えなくなるものがあるのではないか。
まして、
「こちらが正義」
「あちらが悪」
という構図になれば、相手の言葉を理解しようとする必要さえなくなってしまうかもしれません。
悪い相手の話など、聞く必要はない。
悪い相手は、説得するか、負かすか、排除すればいい。
そうなれば、対話は難しくなります。
でも現実の人間関係は、本当にそんなに単純なのでしょうか。
自分には自分なりの理由があるように、相手にも相手なりの理由がある。
自分が大切にしているものがあるように、相手にも大切にしているものがある。
妻との喧嘩のとき、私は「どちらが正しいか」ばかりを見ていたために、
「妻は私のことを思って言ってくれている」
ということが見えなくなっていました。
理解することと、賛成することは違う
だからといって、相手の意見を何でも受け入れればいいとは思いません。
意見が違っていてもいい。
「私はそうは思わない」
と伝えてもいい。
大切なのは、
相手を理解することと、相手に賛成することは違う
ということではないでしょうか。
「私はあなたの意見には賛成できない。でも、あなたがなぜそう考えるのかは知りたい」
そういう関係なら、意見が違っていても対話することはできます。
「どちらが正しいか」から「どんな関係でいたいか」へ
夫婦でも、
親子でも、
職場でも、
地域でも、
私たちは意見がぶつかったとき、つい、
「どちらが正しいのか」
を決めたくなります。
でも、本当に大切なのは、それだけでしょうか。
自分の正しさを証明することには成功した。
相手を言い負かすこともできた。
でも、その結果、相手との関係が壊れてしまった。
それは、本当に自分が望んでいた結果なのでしょうか。
夫婦であれば、
「どちらが正しいか」
だけではなく、
「これから、どんな夫婦でいたいのか」。
親子であれば、
「親が正しいことを分からせる」
だけではなく、
「この子と、どんな関係を築いていきたいのか」。
そんな問いも持っていたいと思います。
自分の「正義」を疑ってみる
正義を持つことそのものが悪いとは思いません。
自分が大切にしたい価値観があるからこそ、人は行動できます。
でも、自分を「正義」の側に置いたとき。
その反対側にいる人を、知らず知らずのうちに「悪」の側へ置いていないだろうか。
選挙で聞いた「我々が正義だ」という言葉に、私は違和感を覚えました。
でも、その違和感について考えていくと、それは誰かを批判するためのものではなく、自分自身を振り返る問いになりました。
誰かと意見がぶつかったとき。
「私は今、自分だけが正しいと思っていないだろうか」
「相手を『間違っている側』に置いていないだろうか」
「相手には、何が見えているのだろう」
「私は、この人とどんな関係でいたいのだろう」
そして、もう一つ。
「今、自分の正義によって、誰かを『悪』にしていないだろうか」
……と、ここまで書いておきながら。
実際に我が身の人間関係のこととなると、こんなことをすっかり忘れて、「自分の方が正しい」となってしまう自分もいます。
分かっていることと、できることは違いますね。
だからこそ、自分が「正しい」と強く思ったときに、またこの問いに戻ってこられればいい。
私自身、まだまだです。
日々精進です。
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