人が怖がると馬にも伝わる?「恐怖のにおい」を馬が感じ取ることが科学的に示された

Self2Drive Story|歩んで来た道

この記事を書くきっかけは、大学馬術部時代の同期で、今でも馬のことを話す親友から届いたメッセージでした。

ある馬術競技を見ていて、彼はこんなことを感じたそうです。

「この馬は止まるかもしれない」

そう思った騎手は、障害を飛ぶために必要なペースまで馬を前に出せなくなる。

馬の側からすれば、飛べという指示なのか、止まってもいいのかが曖昧になる。

そして結果として、障害の前で止まってしまう。

「止まるかもしれない」
「走られたらどうしよう」
「落ちたらどうしよう」

こうした騎手の恐怖や猜疑心は、馬との関係にどんな影響を与えるのだろう?

そして、恐怖と猜疑心の関係になってしまった人馬のペアが、もう一度お互いを信頼して動けるようになるには、どうしたらいいのだろう?

そんな問いをもらいました。

馬に長く関わってきた人間として、とても興味深い問いでした。

私自身にも、思い当たる経験がいくつもあったからです。

「人が怖がると、馬にも伝わる」は本当なのか?

「人が怖がっていると、その緊張は馬にも伝わる」

馬の世界では、昔からよく言われてきました。

実際、乗馬の現場では、乗っている人が緊張して身体を固くすると、馬まで落ち着かなくなったり、普段なら気にしないものに反応したりすることがあります。

これまでは、

「手綱を握る力が強くなるから」
「身体が硬くなるから」
「呼吸や動きが変わるから」
「馬への指示が曖昧になるから」

といったことが、その理由として考えられてきました。

もちろん、それらも馬に影響を与えているでしょう。

では、人間の「恐怖」という感情は、それだけを通して馬に伝わっているのでしょうか。

親友からのメッセージをきっかけに調べてみると、2026年、フランスの研究チームから、とても興味深い研究が発表されていることを知りました。

なんと、

「人間の恐怖が、においを通して馬に伝わる」

可能性が科学的に示されていたのです。

「恐怖のにおい」を馬に嗅がせる実験

この研究は、フランス国立農業・食料・環境研究所(INRAE)やフランス馬・馬術研究所(IFCE)などの研究チームによって行われ、2026年1月14日、科学誌『PLOS ONE』に発表されました。

研究タイトルは、

「Human emotional odours influence horses’ behaviour and physiology」

日本語にすると、

「人間の感情に関連したにおいは、馬の行動と生理に影響する」

といった意味になります。

人間の「恐怖」と「喜び」のにおいを集める

まず研究者たちは、人間から感情に関連した体臭を採取しました。

参加者に、

・恐怖を感じる映像
・喜びを感じる映像

を見てもらい、その際の脇の下の汗のにおいをコットンパッドに採取しました。

実験前には食事や香水、デオドラントなどについて細かな制限を設け、できるだけ他のにおいの影響を排除しています。

そして、そのコットンパッドを馬の鼻の前に装着して実験を行いました。

43頭の馬を3つのグループに分けた

実験に参加したのは43頭のウェルシュ種の牝馬です。

馬たちは、

・人が恐怖を感じたときのにおい
・人が喜びを感じたときのにおい
・未使用のコットンパッド

のいずれかを嗅ぐグループに分けられました。

その状態で研究者たちは、人への接近、グルーミング、見慣れない物への反応、突然起こる出来事への反応などを調べました。

さらに心拍数などの生理的な変化も測定しました。

「恐怖のにおい」を嗅いだ馬に起きたこと

結果は、とても興味深いものでした。

人間が恐怖を感じていたときのにおいを嗅いだ馬は、他のグループと比べて、全体として恐怖反応が強くなり、人間との接触も少なくなりました。

具体的には、

・人に触れる回数が減る
・見慣れない物をより注視する
・突然の出来事に、より強く驚く
・突然の出来事が起きた際の最大心拍数が高くなる

といった違いが確認されました。

つまり、人間が恐怖を感じていたときに発した「におい」にさらされるだけで、馬自身もより警戒した状態になったのです。

馬に「恐怖」という気持ちそのものが移ったのか?

ここは慎重に考える必要があります。

今回の研究から、

「人間の恐怖時の体臭が、馬の行動や生理反応に影響した」

ことは示されました。

研究者たちは、これを異なる種の間で起こる「感情伝染(emotional contagion)」の可能性として捉えています。

人間側の恐怖という感情状態と、それを嗅いだ馬に生じた警戒・恐怖反応の方向が一致しているためです。

ただし、

「恐怖を感じると人間がこの物質を出し、その物質を馬がこの受容体で感知する」

というところまで、今回の研究で特定されたわけではありません。

馬が生まれつき反応しているのか、それとも過去の経験から「このにおいがすると何か危険なことが起きる」と学習しているのかについても、まだ分かっていません。

研究者自身も、さらなる研究が必要だとしています。

なぜ馬は人間の恐怖に敏感なのか

馬はもともと群れで生活する草食動物です。

危険から逃げることで身を守ってきた馬にとって、周囲の仲間が感じている危険を素早く察知することは、生存に関わる重要な能力だったと考えられます。

一頭が危険を察知したとき、その情報が群れに伝われば、ほかの馬も早く逃げることができます。

視線、姿勢、身体の緊張、動き、音、そしてにおい。

馬はさまざまな情報から、周囲の状態を感じ取っているのでしょう。

今回の研究は、そこに人間の感情に関連した「におい」も加わる可能性を示しています。

この研究を知って、エビータとの体験を思い出した

今回の研究を知って、私は一頭の馬との体験を思い出しました。

エビータという馬です。

エビータは、とても緊張の強い馬でした。

乗っていると、首が硬くこわばっているのが手に取るように分かります。

私は何か月もの間、どうすればエビータが頭を下げて、リラックスして歩けるようになるのかを考えながら調教していました。

けれど、なかなか変わりませんでした。

「もっと頭を下げさせよう」
「もっとリラックスさせよう」

そう思えば思うほど、うまくいかない。

そんなある日、ふと気づいたことがありました。

エビータをリラックスさせようとしている自分自身が、ものすごく緊張していたのです。

「この馬を何とかしなければ」
「自分がコントロールしなければ」

そんな思いで、自分の身体まで硬くなっていました。

馬を変えようとするのをやめてみた

そこで私は、エビータを何とかしようとすることを、いったん手放してみました。

馬上で、自分自身に意識を向けました。

呼吸はどうなっているだろう。

身体のどこに力が入っているだろう。

自分はいま、どんな状態でこの馬の上にいるのだろう。

エビータを変えようとするのではなく、自分の身体や呼吸を観察しました。

すると、驚くことが起きました。

エビータが、すっと頭を下げたのです。

そして、それまでゴツゴツしていた歩様が、ふわっと柔らかいものに変わりました。

何か月もかけてできなかったことが、そのとき一瞬で起きました。

私は本当に驚きました。

引き綱が「ふわっと軽くなる」瞬間

観光乗馬でお客さんを馬に乗せ、私が地上から引き馬をしているときにも、興味深い経験があります。

初めて馬に乗るお客さんの中には、最初は身体に力が入っている方もいます。

私は馬の引き綱を持って前を歩いているので、お客さんの身体に直接触れているわけではありません。

それでも、ときどき、

「あ、今、リラックスした」

と分かる瞬間があります。

なぜ分かるのか。

その瞬間、手に持っている引き綱が、ふわっと軽くなるからです。

お客さんと私を直接つないでいるわけではありません。

お客さんは馬の背中に乗り、私はその馬につながった引き綱を持っています。

それなのに、お客さんの身体から力が抜けた瞬間が、馬を介して私の手に伝わってくる。

長く馬に関わってきた中で、私は何度もそんな感覚を経験してきました。

馬は何を感じ取っているのだろう?

エビータとの体験や、観光乗馬で感じる「ふわっと軽くなる瞬間」。

これらがなぜ起きるのかを、今回の研究だけで説明することはできません。

騎乗者の筋肉の緊張かもしれません。

呼吸の変化かもしれません。

重心や姿勢の変化かもしれません。

馬への触れ方や、手綱を通して伝わる力の変化かもしれません。

おそらく、いくつもの要素が関係しているのでしょう。

そして今回の研究によって、そこにもう一つ、

「人間の感情に伴って生じる、においという化学的な情報」

が加わる可能性が示されました。

もちろん、私が経験した現象が「においによって起きた」と証明されたわけではありません。

そこは分けて考える必要があります。

それでも、人間の内側で起きている変化を、馬が私たちの想像以上にさまざまな経路から感じ取っている。

今回の研究は、そのことを考える新しい手がかりを与えてくれたように思います。

「止まるかもしれない」は、馬に何を伝えるのだろう?

ここで、この記事を書くきっかけとなった親友からの問いに戻ります。

障害を前にして、

「止まるかもしれない」

と思う。

すると騎手の中に恐怖が生まれる。

身体が硬くなるかもしれない。

手綱の使い方が変わるかもしれない。

馬を前に出すことをためらうかもしれない。

「飛べ」と思いながら、身体からは別の情報を出しているかもしれない。

そして今回の研究を踏まえるなら、そのとき馬が受け取っているものは、騎手の動きや手綱からの指示だけではない可能性があります。

人間の感情に伴う化学的な情報まで感じ取っているのかもしれません。

すると馬の側も警戒する。

馬が警戒したことを騎手が感じる。

騎手は、

「やっぱり止まるかもしれない」

とさらに不安になる。

その不安を馬がまた感じ取る。

そうやって、人と馬の緊張がお互いに影響し合いながら、大きくなっていくこともあるのではないでしょうか。

もちろん、これは今回の研究で障害飛越について検証されたことではありません。

私自身の経験と研究結果を重ねながら考えた、一つの可能性です。

ただ、親友が使った、

「恐怖と猜疑心の関係」

という言葉は、とても印象に残りました。

「怖がると馬に伝わる」から「怖がってはいけない」ではない

だからといって、

「騎手は怖がってはいけない」

という話ではありません。

初めて馬に乗る人が怖いのも、障害を前にして不安を感じるのも、人間として自然なことです。

恐怖を感じないようにしようとすればするほど、かえって身体が硬くなることもあります。

大切なのは、

「怖がってはいけない」

ではなく、

「自分はいま、怖がっている」

と気づくことなのではないでしょうか。

「止まるかもしれないと思っているな」

「身体に力が入っているな」

「馬を何とかしようとしているな」

そう認識できれば、そこから別の行動を選ぶことができます。

呼吸を整える。

肩の力を抜く。

身体の感覚に意識を向ける。

馬から伝わってくるものを感じてみる。

まず、自分の状態を知ることです。

馬を変えようとする前に、自分を見る

エビータとの経験から、私が強く感じたことがあります。

馬を変えようとする前に、自分自身を見る。

ということです。

馬が緊張している。

だから、

「落ち着かせなければ」
「言うことを聞かせなければ」
「ちゃんとコントロールしなければ」

と思う。

ところが、その思いが強くなればなるほど、人間自身の身体が硬くなっていることがあります。

そして馬は、その変化を感じ取っているのかもしれません。

今回の研究では、人間の恐怖時の体臭だけでも、馬の行動や心拍数に変化が生じました。

実際に人と馬が一緒にいる場面では、

身体の緊張、
呼吸、
姿勢、
視線、
声、
手綱から伝わる力、
そして、におい。

さまざまな情報を、馬は同時に受け取っているのでしょう。

馬との関わりは、自分と向き合うことでもある

エビータとの出来事は、私にとって馬の調教についての体験だけではありませんでした。

あのとき私は、

「馬と関わることは、自分と向き合うことでもある」

と気づきました。

相手を変えようとしている自分。

思い通りにしたい自分。

うまくいかないことに焦点を当てている自分。

そんな自分の状態に気づき、それをいったん手放してみる。

すると、目の前の馬との関係が変わることがあります。

これは、どこか人間関係にも似ているように私は感じています。

「相手を変えたい」

と思っているときほど、自分自身が力んでいることがあります。

相手を変えようとする前に、

「今、自分はどんな状態で、この相手と向き合っているのだろう?」

と自分に問いかけてみる。

エビータは、その大切さを私に教えてくれた馬なのかもしれません。

まとめ|親友からの問いは、まだ続いている

「人が怖がると、馬にも伝わる」

馬の世界では昔から語られてきたことです。

今回の研究によって、その伝達経路の一つとして「におい=化学的な情報」が関わっている可能性が科学的に示されました。

もちろん、人間と馬とのコミュニケーションを、においだけで説明することはできません。

姿勢、動き、呼吸、声、手綱、経験、学習など、さまざまな要素が複雑に関係しています。

それでも、人間が意識的にはコントロールしていない体臭からさえ、馬が私たちの状態を感じ取っている可能性があるという研究結果は、とても興味深いものです。

エビータとの体験。

お客さんがリラックスした瞬間に、引き綱が「ふわっと軽くなる」という体験。

そして、

「止まるかもしれない」

という騎手の恐怖を、馬はどのように受け取っているのかという親友からの問い。

これまで感覚的に経験してきたことを、科学が少しずつ別の角度から明らかにしてくれているようにも感じます。

ただ、親友からもらった問いには、まだ続きがあります。

「恐怖と猜疑心の関係にある人馬を、どうすれば変えていけるのか?」

これは、「恐怖が伝わる仕組み」を知っただけでは答えられません。

馬を変えるのか。

騎手を変えるのか。

それとも、人と馬の「関係」を見ていくのか。

私自身、もう少し考えてみたいと思っています。

馬と接するとき、

「この馬をどう動かそうか」

だけではなく、

「今、自分はどんな状態で、この馬の前にいるだろう?」

と、自分自身にも意識を向けてみる。

馬との関係を考えることは、自分自身の状態に気づくことでもある。

親友から届いた一つのメッセージをきっかけに、改めてそんなことを考えています。

【参考文献】

Jardat P, Destrez A, Damon F, et al. (2026)
Human emotional odours influence horses’ behaviour and physiology.
PLOS ONE 21(1): e0337948.
Published January 14, 2026.

INRAE (2026)
The smell of fear influences horse behaviour.
Published January 15, 2026.